1979年 ノービス125
全日本選手権ノービス125 年間ランキング5位
1980年 ジュニア125
全日本選手権ジュニア125 年間ランキング11位
1981年 国際B級125
全日本選手権国際B級125 年間ランキング8位
1982年 国際A級昇格
1983年 世界選手権鈴鹿8時間耐久レース 総合17位(ペアは日本人男性ライダー)
HONDA
CBR900RR 本田研究所の先輩、有馬通正選手と組み、初めてのビッグマシンにヘロヘロでした
他チームで
アメリカ人女性レーサーも出場していました
1984年 世界選手権鈴鹿8時間耐久レース 総合24位(ペアはアメリカ人女性ライダー)
2年目はアメリカ人女性レーサー、シェリー・フライダスとペアを組み、自力で予選も通過し頑張りました
1985年 国際A級125 全日本選手権国際A級125 年間ランキング5位
国際A級125ccクラス 筑波サーキット最終コーナー
’85年 国際A級125ccクラス 初表彰台です
’85年 国際A級125cc 筑波のスタート直後
1コーナー出口。 ゼッケン10が私です
1987年
国際A級125 全日本選手権A級125出場中、転倒、怪我のため引退
1988年 チームマリ結成 女性レーサーグループとして活動する一方、全国のホンダ・レディスライディングスクールなどで、講師を勤める
’80年後半から
90年代は女性レーシングチームを結成。多くのメーカーがスポンサーにつき華やかな時代
1993年 女性ライダーのみを対象とした、ライディングレッスン、「ビューティライディング」を企画、
本田技研工業株式会社の主催のもと、全面的にこれを運営、全国各地で開催
速く走る立場から
安全に乗る事を教える立場への転換は、意外と難しく苦労しました
1997年 女性だけのライダーズクラブ「マリ輪CLUB」を結成
女性ライダーの交流を目的にクラブ活動をスタート
2004年 女性ライダーを対象とした、チームマリ・モーターサイクルレッスンを新たに主催、スタートさせる。
女性ライダーを対象とした、中高速レッスンプログラム、ビューティ・サーキットレッスンを立案・主催・スタート
2005年 スクール19開催並びにマリ輪CLUBイベントを中心に活動中。
2007年〜 安全運転の活動に加え、日本小型自動車振興会主催オートレース「ウーマンズリーグ」監督を務める。
従来の2レッスンに加え新たに「チームマリ オーバルレッスン」を開始。
2008年 〜 2009年
スクール16開催並びにマリ輪CLUBイベントを中心に活動。
マリ輪CLUB会員は09年度5月で1400名を超え、クラブの活動も幅広く計画中、広く二輪の普及や
女性ライダーの交流促進のための活動を展開した。
女性インストラクターも増え、楽しく役立つ チームマリのレッスンは、現在 井形とも
が運営しています
2010年
チームマリの片腕として常に活動を共にしてきた、妹のともに代表を任せ、引退。